演奏スタイル、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:41 UTC 版)
「ヨーゼフ・ローゼンシュトック」の記事における「演奏スタイル、その他」の解説
ローゼンシュトックの演奏スタイルは、トスカニーニを模範とする規律的な演奏を目指すものであった。その点では、フルトヴェングラー流の演奏スタイルだった近衛秀麿と対を成すべきものであり、この流れは後に齋藤秀雄の「齋藤メソッド」に受け継がれていった。とにかく一糸乱れないアンサンブルを作り上げるために徹底的に新響を絞り上げ、レベルに満足できない時は激怒することも常であった。その一方で、現時点での楽員のレベルをある程度は理解していたとも言われ、その範囲内で古典から当時の現代作品にわたるプログラムを構成したりもした。なお、上記一覧にもあるようにラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲はローゼンシュトック・新響が日本初演しているが、実は本来その公演は5月に行われるはずだった。しかし、「ダフニスとクロエ」を一番よく理解していた楽員が病気になって出演できなくなり、『演奏レベルが保たれない』という理由で1ヶ月先送りになったものであった。 一般的な「ローゼンシュトック=怖い」というイメージは、当時を知る楽員らの話(本人や、当時の楽員と知り合う機会のあった岩城宏之らの回想など)がメインとなって出来上がったものであるが、再度の常任指揮者の任期を終える際に開かれた告別演奏会のあと、「一気に老け込んで普通の60代の老人になってしまった」らしく、1970年代に客演した頃は人格が丸くなり好々爺然としていたと言われている。 また、ローゼンシュトックは国際マーラー協会の名誉会員の一人であり、マーラーの曲を演奏する度にニューヨークにいたアルマ・マーラーなどマーラー家の家族に演奏の様子や自己評価、演奏期日やその演奏が録音されていた場合の録音の放送日まで事細かく手紙で伝えていたと言われている。
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