淡路国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 05:02 UTC 版)
僧寺跡の寺域は、東西約170メートル・南北約210メートルで、築地塀と幅2メートルの溝をもって区画する。主要伽藍として金堂・塔が認められているが、伽藍配置は明らかでない。遺構の詳細は次の通り。 金堂 本尊を祀る建物。寺域ほぼ中央に位置する。盛り土および基壇の一部が検出されている。 塔 経典(金光明最勝王経)を納めた塔(国分寺以外の場合は釈迦の遺骨(舎利)を納めた)。寺域東寄り、現在の大日堂に重複する。基壇は一辺13-14メートルを測る。塔心礎と礎石5個が遺存する。心礎は北に約2メートル動かされている。直径約1.36メートルの円形の自然石で、直径約75センチメートルの円柱座とその上に枘を造り出す。他の礎石5個もいずれも原位置を保つものではない。 伽藍配置は紀伊国分寺と同じと推測する説がある。また出土瓦のうち創建期の軒丸瓦は興福寺式であり、紀伊国分寺と同笵関係にある点が注目される。そのほか重圏文・重郭文の組合せには阿波国分寺からの影響も推測される。 瓦の供給窯については、国分寺西側の国分遺跡(国分寺瓦窯跡)であることが明らかとなっている。2002-2003年度(平成14-15年度)の発掘調査では創建瓦の焼成窯として有牀平窯2基が見つかっている。
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