消極的評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 09:57 UTC 版)
岸信介、椎名悦三郎の系譜に連なる、統制派商工官僚の大物として、政府(官僚)主導の経済操縦を試み、企業の自主性を抑圧するものとして、パターナリズムの強い政策観であるとの評価がある。追いつくべきモデルとしての欧米先進国が存在した1960年代前半まではともかく、日本の高度成長にともない、佐橋が事務次官に上り詰めるのと同時進行的にその政策の有効性は乏しくなっていたと言えよう。本田宗一郎が二輪車から四輪車への進出を巡り、さらに日向方齊らが、業界統制を行おうとする佐橋に面と向かって抵抗し(住金事件参照)、結果としては本田技研工業等の成功があることがそれを物語っている。 また、面倒見がよいという評価の別の解釈として、山下英明など有能ではあっても自分と肌合いの合わない人材を冷遇する一方で、三宅幸夫など自らの意を迎える幹部を重用したという面があり、結果としてその後の通産省の派閥闘争の原因となったとの説がある。退官後の政財界からの引退についても、佐橋は別に天下りを嫌ったわけではなく、OB等による、社会的影響力の少ないポストへの「押し込め」であるとの説もある。
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