海軍少将 ~ 海軍中将・開戦
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「醍醐忠重」の記事における「海軍少将 ~ 海軍中将・開戦」の解説
1935年5月25日には、軽巡洋艦「那珂」の艦長、同年11月15日からは軽巡洋艦「球磨」の艦長、さらに1936年12月1日には海防艦「磐手」の艦長と、様々な巡洋艦・海防艦の艦長を歴任する。さらに1937年12月1日には重巡洋艦「高雄」艦長と海防艦「八雲」艦長を兼任、1938年1月25日には海防艦「八雲」艦長に正式就任した。1940年11月15日にはついに海軍少将へ昇進した。 1941年10月20日に、第5潜水戦隊の司令官に就任すると、同年12月8日に真珠湾攻撃が始まり、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発した。1942年7月14日には軍令部出仕で勤務する。同年8月31日には呉の潜水戦隊司令官に就任すると、これ以降は第11潜水戦隊司令官(1943年4月1日)などの各隊司令官を歴任する。同年10月20日には再び軍令部へ出仕され、同年11月1日に海軍中将へ昇進した。中将へ昇進後も各隊司令官への就任は続き、第22特別根拠地隊司令官(同年11月8日)、呉潜水戦隊司令官(1944年8月23日)などで海軍の幹部として指揮を取る。同年8月29日には呉の海軍潜水学校に校長として復帰した。
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