津田梅子 つだ うめこ
東京生まれ。教育家。父は幕臣で農学者となった津田仙。明治4年(1871)開拓使が募集した女子留学生の一人として、岩倉遣外使節団とともに数え8歳で渡米。初等・中等教育を受け、15年(1882)帰国。華族女学校教授になったが、22年(1889)再び米国に留学し、ブリンマー=カレッジの生物学選科生となる。25年(1892)に帰国後は華族女学校教授に復帰、のち女子高等師範学校教授を兼任。33年(1900)に辞職し、女子英学塾(現津田塾大学)を創立して、英語教育や個性を尊重する教育に努め、女子高等教育の先駆者となった。
キーワード | 教育家 |
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号・別称等 | むめ |
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
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