生涯、母語は英語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:25 UTC 版)
幼少からのアメリカ生活で、梅子は日本語を完全に忘れていた。留学時に梅子より年長であった捨松と繁子は、比較的早期に日本語を取り戻したが、梅子は日本語の習得に苦しんだ。生涯を通じて、梅子の話す日本語は外国人風の発音で、梅子の母語(思考の言語手段)は英語であった。捨松の娘の証言によると、捨松・繁子・梅子の3人同士の会話は常に英語であったという。 現存する梅子の書き物は、公的書類に「津田梅子」と漢字で署名したようなケースを除き、ほとんど全て英語である。生涯を通し、梅子が自らの名で発表した日本語の刊行物は少なくないが、いずれも梅子が自ら書いたものではなく、梅子が話すのを編者・記者が口述筆記したものと考えられる。
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