モリス夫人との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:25 UTC 版)
アーチャー・インスティチュート在学中の梅子は、父の知人であるウィリアム・コグスウェル・ホイットニーの紹介により、1882年(明治15年)2月または3月に、フィラデルフィアの資産家・慈善家・敬虔なクエーカーであるメアリ・モリス夫人(Mrs. Mary Harris Morris. 1836年-1924年. 夫はフィラデルフィア有数の大富豪であるウィスター・モリス)と知り合った。梅子は、日本に帰国した後も、モリス夫人と文通を続けた。 モリス夫人は梅子の良き理解者となり、 梅子の2回目のアメリカ留学(明治22年〈1889年〉から明治25年〈1892年〉)の実現。 日本の女性をアメリカに留学させる「日本婦人米国奨学金」の創設(明治25年〈1892年〉)。 梅子が日本で創設した女子英学塾(現:津田塾大学)を経済的に支援する「フィラデルフィア委員会」の設立(明治33年〈1900年〉) のいずれにおいても主導的な役割を果たし、アメリカから梅子を支援し続けた。
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