モリソンの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:23 UTC 版)
肥満ですっかり容姿が変わってしまったモリソンは、『L.A.ウーマン』録音後の1971年に休養することを決め、ガールフレンドのパメラ・カーソンとパリへ渡る。モリソンは、1971年7月3日にパリのアパートの浴室で死亡した。モリソンはペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、埋葬の前に検死が行われていなかったことが、その後明らかになった。彼の死には「ドラッグ説」と「アルコール説」がある。ドラッグ説はヘロインの過剰摂取である。知己であったマリアンヌ・フェイスフルも、同様の趣旨の証言を行った。 ドアーズの残りのメンバーは活動を継続し、当初は新たなヴォーカリストの第1候補にポール・ロジャースを挙げていたが、ロジャースと連絡を取ることができなかったため、結局クリーガーとマンザレクがヴォーカルを担当し、アルバム『アザー・ヴォイセズ』と『フル・サークル』の2作のアルバムを発表した。両アルバムは商業的に失敗し、モリソン抜きではドアーズたり得ないことを証明することになった。1972年の『フル・サークル』発表後、年内でバンドは正式に解散する。 その後、旧メンバー3人はジム・モリソンのデモテープを元にアルバムを制作。1978年にラストアルバム『アメリカン・プレイヤー』を発表。
※この「モリソンの死」の解説は、「ドアーズ」の解説の一部です。
「モリソンの死」を含む「ドアーズ」の記事については、「ドアーズ」の概要を参照ください。
- モリソンの死のページへのリンク