山川菊栄の評
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女子英学塾の第10回卒業生であり、明治43年(1910年)前後に梅子の授業を受けた山川菊栄は、下記のように記している。 津田先生にとつては教へることが最大の快楽であり、唯一の趣味であるとさへ見えた。どんなに暗い、ムツツリしたお顔で教室へ入つて来られた時でも、授業の進行と共に、先生のお顔は晴れやかに輝き、最後には快活な笑ひ声と共に、凱旋将軍のやうに意気揚々と、恰かも又ほしい物をあてがはれた赤児のやうに、満足し切つて出て行かれるのだつた。 — 山川菊栄、塾同窓会『会報』第35号「津田梅子先生記念号」、昭和5年〈1930年〉7月、
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