沼津兵学校の頭取監督としてとは? わかりやすく解説

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沼津兵学校の頭取監督として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 13:56 UTC 版)

江原素六」の記事における「沼津兵学校の頭取監督として」の解説

慶応4年明治元年徳川家新し領土駿河の地に決まると、旧幕臣の授産西洋文化活用のため、阿部邦之助と江原素六徳川家の新領地内に兵学校創設働きかけた。明治2年1869年)に江原素六静岡藩小参事となり、静岡藩軍事掛と沼津兵学校掛を命ぜられた。沼津兵学校頭取にはオランダに留学経験のある西周付き技術的学科だけでなく基礎的な西洋学問として、英語・仏語数学微分・積分までが取り入れられた。また、沼津兵学校には附属小学校設けられ一貫教育目指した。 沼津兵学校当初徳川家兵学校称したが、明治2年1869年7月版籍奉還の後、沼津兵学校改称された。明治3年1870年)、主要な教授陣沼津兵学校から政府出仕する中、太政官海外視察のため、視察団員を13大藩に2名ずつ選出させた際、素六も静岡藩より選出された。視察団は、明治4年1871年4月サンフランシスコ上陸後半年アメリカ滞在し大部分の者がヨーロッパ視察に行く中、素六は日本へと帰国した帰国の際には、余った旅費書籍器械商品見本購入し持ち帰った書籍は、沼津兵学校生徒たち与えた明治4年1871年7月廃藩置県に伴い兵学校政府献納された。

※この「沼津兵学校の頭取監督として」の解説は、「江原素六」の解説の一部です。
「沼津兵学校の頭取監督として」を含む「江原素六」の記事については、「江原素六」の概要を参照ください。

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