治世の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 18:05 UTC 版)
エウゲニウスの治世は、一つの時代の終わりと新しい時代のはじまりを告げるものといえる。 エウゲニウスの登位は、ローマの伝統的な多神教徒やその信奉者がいまだ多く残っていた元老院にとって、帝国のキリスト教化に抗しうる最後の機会であった。またフリギドゥスの戦いは、ローマ軍における外人部隊の増加傾向の現われである。元修辞学者であったエウゲニウスに代わり実質的な西ローマ帝国軍の指揮官であったアルボガステスはフランク人であり、テオドシウスの軍勢における主な将軍の顔触れも、のちにローマ軍の総司令官を経て西ローマ皇帝ホノリウスの摂政となるヴァンダル族出身のスティリコや西ゴート族のアラリックなどのゲルマン人であった。こうした異民族の傭兵の増加は、特にその傾向が強く見られた西ローマ帝国では、皇帝権力の弱体化の原因となってゆく。 テオドシウスは392年に即位したエウゲニウスへの対抗策として、翌393年1月には自身の息子ホノリウスにアウグストゥスを名乗らせた。そして395年のテオドシウスの死去にともない、アルカディウスは東ローマ帝国、ホノリウスは西ローマ帝国をそれぞれ相続した。複数の皇帝による帝国の分担統治と再統一はそれまでにも何度か見られたが、この395年の分担統治がローマ帝国の最終的な東西分割と呼ばれている。
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