治世と混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 15:13 UTC 版)
ヴァシーリー4世はその治世、彼の正統性を疑う多くの大貴族に譲歩し(彼がリューリクの子孫であることは間違いないが)、貴族会議の存在が重みを増した。 また、動乱時代で国内が分裂状態にあったため、その権威はきわめて弱く、フョードル1世の息子を僭称する偽ピョートルが出現したり、即位した年には大貴族とコサックが結託した大規模なイヴァン・ボロトニコフ(ロシア語版、英語版)による反乱が起きた。 翌1607年にイヴァン・ボロトニコフの反乱は鎮圧したが、さらに同年末、今度は「生きのびた」偽ドミトリー1世を名乗る偽ドミトリー2世が出現し、不満分子を中心に支持を得て、南部に大きな勢力を持つようになっていった。 偽ドミトリー2世を撃退するべく、シュイスキーはスウェーデンに支援を求めたが、代償としてリヴォニアなどの領土の一部を手放す羽目に陥り、さらにスウェーデンと同盟してポーランドと戦うことまで約束させられた。 しかし、このことはスウェーデンと対立するポーランドによる武力介入を促すことになった。
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