治世の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 08:22 UTC 版)
床島用水の造成現在の北野町、大刀洗町、宮ノ陣町、小郡市付近である筑後川の北側は肥沃な土地ながら、水不足に苦しんでいたが、目の前を流れる筑後川は川幅が広く流れも速いため水を引くのが困難であった。また、川をせき止め、水路を作る計画を行っても隣接する福岡藩との紛争の種となるとして、40年もの間見送られていた。 宝永7(1710)年、大干ばつが村を襲い、飢え死にする者が続出。三井郡鏡村(現在の北野町金島) の高山六右衛門をはじめ五人の庄屋たちが工事の許しを久留米藩に要請し、則維がこれを認めた。藩から派遣された草野又六と六右衛門の指揮により3500人が工事に携わるが、大きな木や石も一瞬で押し倒され、失敗の連続だったという。更に福岡藩の激しい抗議や妨害もあり、工事は困難を極めた。最後は山から運び出した数十万個の大きな石や墓石と、小石で作った石俵50万個を一気に沈め完成した。工事費用は銀50貫もの大工事であった。
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