失敗の連続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:23 UTC 版)
大正11年(1922年)早稲田大学商学部を卒業後、産業組合中央金庫(現・農林中央金庫)に入社するも飽き足らず、程なくして退職する。その後は農家の副業奨励のため炭焼きや養豚などの事業に取り組むが、いずれも失敗。 1930年、斎藤は農家へのアンゴラウサギ飼育斡旋と兎毛の販売を目的としてアンゴラ兎興農社を設立、さらに1932年には衆議院議員の鷲沢与四二を社長に迎えて兎の飼育と兎毛生産を行う東京アンゴラ兎毛株式会社を設立する。兎毛の営業活動を通じて当時紡績業界最大手であった鐘淵紡績(現カネボウ)社長の津田信吾の知遇を得ることになった。成功するかに見えたアンゴラ兎事業であったが、コクシジウムという兎特有の伝染病が発生、さらに社長の鷲沢との対立もあり、1935年、斎藤は東京アンゴラ兎毛を退社する。
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