河内石川源氏とは? わかりやすく解説

河内・石川源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 02:25 UTC 版)

源義時」の記事における「河内・石川源氏」の解説

夢の中で父祖三代お告げを受け、河内源氏本拠地源氏三代祀る壺井権現社壺井神社)を創建遺言により父・義家霊廟葬られた。孫に源頼朝が「河内随一源氏」と評した源義兼石川判官代)がいる。子孫石川源氏称し、その一族には石川氏、紺戸氏、平賀氏万力氏、杭全氏などの諸氏がある。 治承源平の戦いの際、都に近い河内国八幡太郎義家以来源氏残存勢力のあることを危険視した平清盛によって攻撃された。源義基源義兼らは、平家方の侍大将大夫判官飯富季貞摂津判官平盛澄の軍と洛外石川源氏本拠地である河内国石川庄で抗戦するが、大勢を覆せず、一族多く討たれ石川源氏勢力大きく衰退した。 この戦の平家方の大将義家の子孫で、源義兼から見て又従兄の子にあたると思われる源季貞がいる。源季貞は父の代からの平家郎党であるということ平家であったために、同族討伐する大将になったともいえるが、これにも諸説がある。以下の有力な説がある。 源義時源季貞曾祖父にあたる源義忠暗殺事件荷担もしくは関係があったため 当時義忠嫡流源義高従四位左兵衛となっており同時代源為義よりも官位高かった事、平氏政権下での河内守といった官職受領関係に不明な事が多い事等から義忠流が引き続き河内守として勢力持っていたとも考えられ源氏の事は源氏で、河内国内の事件源氏対処する、という慣例従っただけである。

※この「河内・石川源氏」の解説は、「源義時」の解説の一部です。
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