沖縄復帰後から2000年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:52 UTC 版)
「沖縄本島のバス路線」の記事における「沖縄復帰後から2000年まで」の解説
1972年5月15日に沖縄の復帰により沖縄の通貨が米ドルから日本円となったため、バス運賃もドルから円に変更された。移行のため、5月15日・16日はドル、17日以降は円で運賃を支払うようお願いを掲示した。 1974年8月1日に那覇交通が首里バスを吸収合併したことで沖縄本島内の路線バス事業者は琉球バス・沖縄バス・那覇交通・東陽バスの4社となり、那覇市内線全線が那覇交通による運行に一本化された。 1975年7月から翌1976年1月にかけて開催された沖縄国際海洋博覧会期間中には4社で海洋博直行バスを運行している。 1978年7月30日には沖縄県内の道路が米軍統治時代以来の右側通行から左側通行へ切り替えられた(730)。これにより、バスはそれまでの左ハンドル・右側出入口から、右ハンドル・左側出入口の車両に移行した。これに合わせて従来車両の一部が改造されたほか、国庫補助もあり多数の新車(730車)が導入された。 詳細は「730 (交通)#バス」を参照 1990年代に入り、それまで琉球バスと沖縄バスが別々に重複して運行していた北部支線(名護 - 本島北部各地)、糸満線(那覇 - 糸満)、読谷線(那覇 - 読谷)、名護西線(国道58号経由那覇 - 名護)が順次両社の共同運行 に切り替えられている。
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