沖縄愛楽園での非常時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 14:18 UTC 版)
1945年、戦争がひどくなり、避難壕を作り、不自由者は早くから壕内生活となった。「余暇を見て、身辺の整理をして最後の日を待った。園長がきて、何も整理ができていない。官舎も焼ける覚悟でいなければ、と言った。アルバムを燃やした。医局に3名の男性がいたが、3名とも応召し、戦死した。三上婦長(三上千代)、西崎、増田、知念、川平、吉浜、我喜屋の七名の天使群は、まるで戦場における七名の武士のように、勇敢に最後までふみ止まって、職務を遂行した。爆撃の合間を縫いながら、壕から壕をまわっての決死行である。(中略)明日は死ぬかもしれない、この極限に身を置きながら、生きることの尊貴と、歓喜を知る矛盾が、自分にも不可解に思われながら.....」
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