江西省政府主席へとは? わかりやすく解説

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江西省政府主席へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:03 UTC 版)

熊式輝」の記事における「江西省政府主席へ」の解説

1927年民国16年2月熊式輝江西省政務委員会会計長に任ぜられる。10月、第1師は第13軍改編され、熊は副軍長兼第1師師長となる(まもなく第1師は第37師と改められ引き続き師長務めた)。11月江西省政府委員兼ね12月には淞滬衛戍司令兼任した8月、第37師は第5師に改編され、引き続き師長務めている。 1930年民国19年5月熊式輝江浙皖剿匪総指揮陸海軍総司令部参謀長抜擢され中国共産党紅軍討伐従事する。翌1931年民国20年6月国民政府軍委員会委員長南昌行営参謀長に任ぜられた。ところが、まもなく熊は飛行機事故にあって負傷し、これが原因前線軍人としての活動断念せざるを得なくなる。同年12月江西省政府主席に任ぜられ、翌1932年民国21年11月南昌行営弁公庁主任となる。1934年民国23年10月には江西全省保安司令兼ねた1935年民国24年10月中国国民党第5期中央執行委員任命された。 日中戦争抗日戦争勃発後も、熊式輝江西省政府主席引き続き務め日本軍迎撃のための体制整備している。1942年民国31年2月江西省政府主席を免ぜられ、国防最高委員会委員移った5月には江西全省保安司令からも免ぜられ、10年余り務めた江西省軍政要職から完全に退くことになる。その後、駐米軍事代団団長としてアメリカ訪れ1943年民国32年7月三民主義青年団第1期中央団部評議員招聘された。同年秋、中央設計局局長に任ぜられている。1945年民国34年5月国民党第6期中央執行委員再選された。

※この「江西省政府主席へ」の解説は、「熊式輝」の解説の一部です。
「江西省政府主席へ」を含む「熊式輝」の記事については、「熊式輝」の概要を参照ください。

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