江南戸鈔とは? わかりやすく解説

江南戸鈔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 04:24 UTC 版)

アガル・タマル」の記事における「江南戸鈔」の解説

江南モンゴル語による呼称は「マンジ」)地方におけるアガル・タマル徴収について、最も詳しく記載しているのが『元典章』巻24戸部10投下税の「江南無田地人包銀」である。 至元二十年八月……『去年、さきの皇帝の兄、弟、姫、婿などに賜わった江南民戸には、税糧だけを課しその他の諸税は一切取りませんでしたが、すでに各投下民戸を賜わった以上、民戸がなんのアガル・タマル(阿合探馬児)も納めないのは、よろしくない思いますわたくしたち適当に処理して改め奏上したいと思いますが、いかがなものでしょうか』と奏上したところ、『そうせよ』と皇帝が申された。それで、さらにつぎのように……奏上したところ、ジャルリグ聖旨)が降って『そうせよ。すでに投下民戸与えた以上、民戸アガル・タマル納めないのはよろしくないそのような事情なのだから投下対しして、はっきり言ってやれ。中書省ビチクチ申しつけて、知らせてやれ。江南民戸はまだ整理されていないのだから、今のところ諸税は一切課さないようにせよ。いま、官銭のうちの1万分のアガル・タマルから100錠の紙幣投下与えよ。そして後に民戸整理でき上り、体例が定まった時にアガル・タマルを取ることにせよ、と投下言ってやれ。これを欽めよ』とあった。…… — 『元典章』巻24江南無田地人包銀」 以上、『元典章』が明記するように、江南マンジ地方においても当初華北ヒタイ地方同様のアガル・タマル徴収が行われる予定であったが、江南統治混乱によりなかなか実現しなかった。そこで、臨時的措置として江南からの税収から10,000戸あたり100錠の紙幣交鈔)をアガル・タマルとして投下領主与えようになった。なお、「10,000戸あたり100錠」を換算すると「1戸あたり鈔5銭」となる。 このようにクビライ時代江南におけるアガル・タマル徴収分配方法はあくまで「臨時的措置」に過ぎなかったが、結局この手法は大きな変更を経ることなく元末まで続くことになる。クビライの後を継いだオルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)は即位直後中書省申請に従って1戸ごと徴収額を500文(5銭)から2貫へと4倍にしたが、徴収分配方法についてはクビライ時代のままとした。こうして、「1戸ごとに2貫分を税収から差し引き交鈔として投下領主分配する」というやり方江南におけるアガル・タマルとして定着し、これを漢文史料上では江南戸鈔と呼んでいる。 ジャヤート・カアン(文宗トク・テムル即位記念として編纂された『経世大典』、そして『経世大典』を典拠として編纂された『元史』巻95食貨志3では「五戸絲」と「江南戸鈔」によって諸王功臣与えられ人口土地記している。例えば、『元史』巻95食貨志3冒頭挙げられるダアリタイ家太祖叔答里真官人位)の條には、「五戸絲」として寧海州1万戸が、「江南戸鈔」として南豊州1万1千戸が、それぞれ与えられたと記されている。

※この「江南戸鈔」の解説は、「アガル・タマル」の解説の一部です。
「江南戸鈔」を含む「アガル・タマル」の記事については、「アガル・タマル」の概要を参照ください。

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