水雷艇への対抗策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:07 UTC 版)
水雷艇の発達とともに、これに対抗して、大型艦を守る試みも着手された。まず1880年代中盤より、水雷艇を撃攘しつつ自らも敵艦に雷撃を敢行しうる高速・軽快な艦として、スペイン海軍の「デストラクター」(Destructor)を端緒とする水雷砲艦(Torpedo gunboat)や水雷艇捕獲艦(Torpedo boat catcher)が建造された。しかしこれらは、従来の水上戦闘艦の延長線上であったことから船体構造が過重であり、また軽量大出力の適切な機関が得られなかったことから所期の速力を達成できず、その後の進化に繋がることはなかった。 その後、1890年代中盤より、イギリス海軍は「ハヴォック」を端緒として水雷艇駆逐艦(Torpedo boat destroyer)の整備に着手した。これは水管ボイラーの発明に伴う軽量高出力機関の実用化を背景として、船体構造・機関ともに水雷艇をベースとして拡大強化するアプローチによって、大型の艦型による優れた航洋性と高速力を両立させたものであり、水雷艇を撃攘するための速射砲と、自らも敵艦に雷撃を敢行するための水雷兵器を備えていた。このコンセプトは成功を収め、後の駆逐艦の礎となった。
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