母として、指導者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 10:22 UTC 版)
共同通信社発行の 『われら地球市民 世界に飛び出した日本人』掲載のインタビューで、当時24歳の成澤は「今後の人生最大の目標は」という質問に対して「幸せな家庭を築くこと」と答えていた。それはバレリーナとして踊れる「寿命」は当時のソビエトでは20年とされていたためで、「踊れるだけ踊り続けたいとは思うけど、早く私たちの子供をつくって、夫と子供に尽くしたい」ということであった。その後、成澤は一女の母となった。 成澤とガリムーリンの娘は、両親と同じくバレエの道に進んだ。成澤によると、以前は家でバレエについてあまり話すことはなかった。今後はバレエダンサーとして歩み始めた娘をかつて自分の両親が助けてくれたのと同様に、ガリムーリンと一緒になって助けていきたいと考えているという。また、ガリムーリンとの結婚後に「初めて両親の苦労が分かりました」とも語っている。 成澤はバレエ好きの子供たちを立派なダンサーとして教育できるようにと、ロシア国立モスクワ舞踊学校(ボリショイバレエ学校)に入学した。2009年6月に、モスクワ舞踊学校大学院教師科を卒業した。 成澤は高木淑子バレエスクールで指導を手がけるとともに、牧阿佐美バレエ塾などでも指導にあたっている。その他に、各種バレエコンクールでは審査員も務めている。
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