バレリーナとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 23:55 UTC 版)
1954年アメリカに留学、アレクサンドラ・ダニロワ、イゴール・シュヴェッツォフに師事した。 1956年母と共に牧阿佐美バレヱ団を結成する。 1970年、父の幹夫がインドで客死し、1971年に母の秋子も死去。1971年に現役を引退し、橘バレヱ学校校長として後進の育成、指導にあたった。1999年から新国立劇場舞踊芸術監督に就任し、新国立劇場バレエ団を率いた。 1984年、50歳の時に17歳年下の三谷恭三と結婚。 2010年、新国立劇場舞踊芸術監督を退任。後任にはイギリスバーミンガム・ロイヤル・バレエ団芸術監督のデヴィッド・ビントレーが就任した。 振付師として古典バレエの改訂演出の他、『牧阿佐美の椿姫』、『ア・ビアント』(三谷、D・ウォルシュとの共作)などを発表した。 2021年10月20日11時35分、大腸がんのため東京都内の自宅で死去した。87歳没。なお、没後の10月26日に日本政府より牧に文化勲章が授けられることが発表されたが、叙勲内定の伝達は死没日の前日の19日であったとのことである。日本国政府は死没日をもって従三位に叙した。
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