歴史:オールドスクール時代 (1970年代 - 1983年)
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オールドスクール・ヒップホップは、1970年代のニューヨークで、クール・ハークなどのブレイクビーツをプレイするDJの出現とともに始まった。オールドスクールの時代のDJやラッパーは、ディスコミュージック、ソウル、ファンクの音源を使用した。ラップのライムの内容は、ほとんどがパーティや、地元ニューヨークに関する話題が中心だったが、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブの「The Message」(1982)は例外で、そのメッセージ性は後のラップに大きな影響を与えた。 最初のラップ曲は、79年のファットバック・バンドの「キング・ティム III (Personality Jock)」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」 とされている。ブロンクスのグランドマスター・フラッシュやバンバータらからは局外者と見做されたが、「ラッパーズ・ディライト」はビルボードのトップ40に入った。その後続いて、カーティス・ブロウやグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブらの曲がリリースされた。「ザ・メッセージ」はニューヨーク周辺だけで約50万枚のヒットを記録したといわれている。 1970年代、多くの黒人専門ラジオ局はディスコ中心の選曲に切り替えたが、アフリカ系アメリカ人コミュニティの中にはディスコに対する揺り戻しもあった。アフリカ・バンバータによると、ブロンクスのヒップホップは、ラジオ局でプレイされるディスコに反対する運動としての側面があったという。ブロンクスのディスコ「クラブ371」ではDJハリウッドがレコードをプレイしており、ハリウッドのミックスや言葉遊びに魅了されたのが、ハーレムのカーティス・ブロウやブロンクスのグランドマスター・フラッシュらだった
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