歴史と開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/08 05:43 UTC 版)
「Do 19 (航空機)」の記事における「歴史と開発」の解説
ドルニエ Do 19は、ほぼ全金属製構造で片持ち式中翼配置の主翼と長方形断面の胴体を持ち、尾翼は同時期の英国のアームストロング・ホイットワース ホイットレイ中型爆撃機に酷似した支柱付の双垂直尾翼と方向舵が水平尾翼の上面に取り付けられていた。降着装置は尾輪式の引き込み式で、エンジンは幾つかの文献によると4基のBramo 322H-2 星型エンジンを主翼前縁のナセル内に装着することが予定されていた。 Do 19の搭乗員は操縦士、副操縦士、航法士、爆撃手、通信士、銃手5名の計10名であった。 試作機のV1号はヴェーファー中将が航空機事故で死亡した後の1936年10月28日に初飛行を行ったが、重爆撃機計画は勢いを失い復活することは無かった。ドイツ空軍が英国の空に手酷い一撃を加えたときに重爆撃機を保有していない失策が露呈した。しかし、そのときには望まれるような爆撃機を今日明日に開発するには遅すぎた。 ヴェーファーの後任のアルベルト・ケッセルリンクはドイツが要求するものは、より多くの戦闘機と戦術爆撃機であると信じていたためV2号とV3号試作機は破棄され、V1号は1938年に輸送機に改装された。ドルニエ Do 19は試作段階までしか進まなかったが有用な長距離爆撃機となり得る設計の機体であった。
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