歴史と選挙母体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 09:56 UTC 版)
「スウェーデン人民党 (フィンランド)」の記事における「歴史と選挙母体」の解説
1906年に設立されたフィンランド最古の政党の1つである。フィンランドの全人口のうち約5.5%を占めるスウェーデン語話者を支持基盤としているため、国内のスウェーデン語話者の減少に伴い支持も漸減。1907年には議会選挙で12%の得票率を獲得したのを最高として、第二次世界大戦後には7%、2003年及び2007年の議会選挙では4.5%の得票率を得るに留まった(2003年に8名、2007年には9名の議員がそれぞれ当選)。 エドゥスクンタでは少数政党の1つとされるにも拘らず、ウルホ・ケッコネンが大統領に選出された1956年以来、社会民主党及び中央党などから成る第1次ラファエル・パーシオ政権(1966年 - 68年)を除き、全ての連立内閣に参画してきた。しかし、2015年に誕生したユハ・シピラ政権においては参画せず(中央党、真のフィンランド人、国民連合党の3党連立内閣)、約50年ぶりに野党となった。
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