歴史と流路とは? わかりやすく解説

歴史と流路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 12:35 UTC 版)

汐留川」の記事における「歴史と流路」の解説

もともとは、溜池低湿地、およびその上流にあたる清水谷紀尾井町周辺)、鮫川新宿区若葉および信濃町駅周辺)、太刀洗川檜町公園の池から北東流下)を水源とし、愛宕山の北あたりで日比谷入江へと注ぐ小規模な川があり、桜川呼ばれていた。 17世紀江戸時代に入ると江戸城総構えおよび江戸市街整備工事進み日比谷入江埋め立てられたが、そこに人工水路切られ溜池からの流れ外濠一画として東へ導かれるとなった。後にその河口部の海を埋め立て浜御殿現在の浜離宮恩賜庭園)が建設されると、それを取り囲むように水路延長されるになったが、とくに浜御殿の西縁にあたる水路指して汐留川と呼ぶようになった明治以降になると川の名上流にまで拡大され、すなわち溜池下の虎ノ門から幸橋(#橋梁参照)、新橋浜離宮西縁を経て海に注ぐまでを汐留川と呼ぶようにもなったが、やがて埋め立て進み、その存在失っていった。虎ノ門から幸橋までは明治時代中に埋め立てられ[要出典]、建築用地に転用されている。そのため山下方面からの外濠汐留川流れていった。土橋から下流1951年昭和29年)から埋め立て始まりその後東京高速道路用地になったこともあって、1963年昭和38年)には最下流部(浜離宮庭園西縁および南縁)約900mを残すのみとなった以降はほぼそのまま、現在に至っている。

※この「歴史と流路」の解説は、「汐留川」の解説の一部です。
「歴史と流路」を含む「汐留川」の記事については、「汐留川」の概要を参照ください。

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