歩兵師団期
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第28歩兵師団は1936年10月1日、第8軍管区(ドイツ語版)のブレスラウで編成された。師団は早くも1939年8月1日に動員され、国境確保のためにオーバー・シュレージェンのラティボル地区に移動し、ここでは第28偵察、第28観測大隊、第28野戦補充大隊が配属した。9月1日、師団はポーランド国境を越え、戦闘の後カトヴィツェを占領。その後、師団はヴィスワ川を越えてクラクフに至った。サン川を渡り、オシュチーでの戦闘の後クラスノブロドでブレスト・リトフスクの鉄道網に到達し、作戦の完了後、師団は西のアーヘン地区に移管され西方の国境警備に配備された。続く対仏侵攻作戦において師団はミュンスターアイフェル(ドイツ語版)より越境しムーズに到達した。さらに進撃を続け、モビュージュを経由してリールへ侵入した。1941年5月、駐屯していたフランス北部からポーランド北部に移管されバルバロッサ作戦に参加し、師団はスワルキからリダ、ネマン川を経由してスモレンスクの北方に進出した。ここでは1941年8月と9月の間、激しい防衛戦を行い、モスクワへの進撃の初に、師団はヤルツェヴォ(ロシア語版)とヴャジマを経由してボルガ川の河口まで進出した。この時点までに師団は大損害を被っていたため、戦線から離脱してフランスに移された。1941年12月1日、師団の第7歩兵連隊は第252歩兵師団に編入され、残りの第49歩兵連隊と第83歩兵連隊は第28軽歩兵師団に改編された。
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