武道神事の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 00:23 UTC 版)
大日本武徳会による剣道の競技化や戦後はスポーツとして位置づけられたため、武道と密接であった神事が衰退し、各武道場での武道神事の伝承が無くなった現在でも、流派伝承の柳生神影流武道神事を当時のまま、武道信仰の本山である四国の霊峰剣山や関連する美馬市木屋平の川上神社などで奉納演武しており、その教えや伝統は脈々と受け継がれている。特に、武道神事である神楽舞の一つに棒神楽があり、これには柳生三厳(十兵衛)の「十兵衛杖」が関係している。棒神楽の動きとしては、伝承されている柳生神影流と徳島の阿波踊りと十兵衛杖が取り込まれており、非常に貴重な神事となっている。 神事の成立時期としては、劔の舞、棒神楽、五穀豊穣の舞が江戸初期、巫女が行う浦安の舞とウズメの舞、神楽舞、鶴の舞の成立は江戸時代末期(幕末)である万延年間といわれている。 演武されている剣山は、かつては武道信仰の本山であり、多くの武人が武道の上達祈願を願って登山修業した修験の山である。明治から昭和初期までは各流派が伝承されている武道神事を劔会(つるぎえ)の期間中に集まり奉納演武していた。ただし、剣山は昭和初期まで女人禁制の霊山でもあったため、武道神事を行う巫女は登山できず、登山口にある美馬市木屋平の川上神社で女性を含む武道神事や伝承形を奉納演武し、後に男性のみで登山し再び武道神事や伝承形を奉納演武した。徳島の銘菓「ぶどう饅頭」は武道上達祈願のために剣山に登る武人のお土産として出来た御菓子である。現在では剣山信仰の薄れや過疎化、氏子の高齢化により参拝者は減少しているが、武道神事や伝承形の奉納演武は続けられている。 現在は、剣山だけではなく徳島県内では阿波国一之宮である大麻比古神社、徳島県外では山城国一之宮である賀茂御祖神社(下鴨神社)、和泉国一之宮である大鳥大社、香川県の白鳥神社など武道信仰の厚い名社に伝承流派である柳生神影流を奉納演武している。
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