武蔵野南線旅客化計画の頓挫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:47 UTC 版)
「川崎縦貫高速鉄道」の記事における「武蔵野南線旅客化計画の頓挫」の解説
「神奈川東部方面線」および「武蔵野線#武蔵野南線の旅客化計画」も参照 しかし1980年代後半になると国の方針が変わり、1985年7月に都市交通審議会答申9号などの改定版として策定された運輸政策審議会答申第7号では、鉄道貨物輸送の衰退で貨物線の輸送力に余力が発生していた当時の状況を踏まえ、貨物線の旅客線化によって建設費の低減を図ることが主要な柱の一つとして位置づけられた。 この答申第7号を受け、川崎市においても武蔵野線の貨物線区間である武蔵野南線(鶴見 - 府中本町間)を活用して府中本町 - 新川崎 - 川崎間に旅客線を整備し、あわせて新百合ヶ丘駅から武蔵野南線への接続線を整備するものとした。このため都市交通審議会9号答申で盛り込まれていた大師河原 - 百合ヶ丘間の地下鉄は削除されている。 答申第7号をもとに、川崎市は縦貫高速鉄道基礎調査を行って1992年3月に発表した。その内容は、新百合ヶ丘駅から武蔵野南線への接続線を新設し、梶ヶ谷貨物ターミナル駅から乗り入れて武蔵小杉駅を経由して新川崎地区の新設駅(新川崎駅)に至るもので、新川崎地区の新駅以東については、川崎駅までを神奈川東部方面線の一部として新設し、川崎駅において連続立体交差事業により地下化される京急大師線に乗り入れるというものだった。 だがその間に国鉄が分割民営化され、1987年4月1日にJR各社が発足した。それまでの答申は国鉄時代の状況を前提として出されていたが、民営化後のJR東日本とJR貨物は武蔵野南線の旅客線化には消極的な態度を取った。その理由として、JRは山手貨物線の旅客線化に伴う貨物輸送の受け皿として武蔵野南線を重要視しており、また武蔵野南線が南武線の近くを通るため旅客需要が見込めないと考えたことなどが挙げられる。 これに対して川崎市は、初期整備区間を武蔵野南線に直接接続しない新百合ヶ丘 - 東急田園都市線間に絞って検討を進めたが、JR東日本の姿勢は変わらず、二転三転する国の方針に川崎市は振り回されることとなった。
※この「武蔵野南線旅客化計画の頓挫」の解説は、「川崎縦貫高速鉄道」の解説の一部です。
「武蔵野南線旅客化計画の頓挫」を含む「川崎縦貫高速鉄道」の記事については、「川崎縦貫高速鉄道」の概要を参照ください。
- 武蔵野南線旅客化計画の頓挫のページへのリンク