正木邦時とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 正木邦時の意味・解説 

正木頼忠

(正木邦時 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:35 UTC 版)

正木 頼忠(まさき よりただ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将安房正木氏の一族である勝浦正木氏の当主。正木時忠の五男[1]正木時通の弟。初名は時長(ときなが)[2][注釈 1]。環斎という雅号を持つ[4]


注釈

  1. ^ 天正20年(1592年)に誕生寺へ寄進された法華経には「正木左近大夫平邦時」と記されており[3]、在京中の慶長元年(1596年)4月に『太平記』を購入する際には「正木前左近大夫平長時」と署名している。
  2. ^ 天正8年(1580年)閏3月20日に「正木左近将監時長」が伊豆国河津に文書を出しているが、花押が天正12年(1584年)10月23日付の「正木左近大夫頼忠」のものとほぼ同じであり、天正8年(1580年)8月15日付の頼忠の判物写を併せ見ると、これ以前にはと官途名を改めていたと考えられる。

出典

  1. ^ a b c d e 寛政重修諸家譜』 第3輯、国民図書、1923年、857頁。 
  2. ^ a b c d 戦国人名辞典編集委員会 編 『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年、895頁。 
  3. ^ 54.正木頼忠と誕生寺”. 大本山小湊誕生寺. 2018年11月13日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 滝川 1998.
  5. ^ 勝浦市史編さん委員会 編 『勝浦市史 通史編』2006年、394頁。 
  6. ^ a b c 川名 1989.
  7. ^ 宮本 1993, p. 108.
  8. ^ 勝浦市史編さん委員会 編 『勝浦市史 資料編 中世』2003年、175頁。 
  9. ^ 植田 2007, p. 98.
  10. ^ 植田 2007, p. 97.


「正木頼忠」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「正木邦時」の関連用語

1
6% |||||

正木邦時のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



正木邦時のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの正木頼忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS