正木時通(まさき ときみち) ????~1575
正木時通
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正木 時通(まさき ときみち、?-天正3年11月8日(1575年12月10日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。里見氏・一時北条氏の家臣。正木時忠の長男で安房国勝浦城を根拠とした。左近将監を名乗る。
第二次国府台合戦で里見氏が敗退すると、父とともに里見氏からの自立を図るようになり弟の頼忠を人質として北条氏康に差し出すと、里見氏から離反して、あくまで里見氏に従う従兄弟の正木憲時を攻撃して上総国に勢力を伸ばす。以後、正木氏当主・北条氏の将として里見氏と争うが、時通はあくまでも里見氏によって抑え込まれていた自己の勢力拡大に主眼を置いており、同じ北条傘下の千葉胤富を攻撃してその領土を奪った事から次第に周辺勢力から孤立する。
そこで天正年間初頭には再び里見氏に復して、北条方との戦いを起こしている。天正3年11月8日の深夜に病死したとされている(このため、安房妙本寺と鎌倉妙本寺にほぼ同一の時通死去の記録がありながら死亡日が1日ずれているのだという)。
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