正教会のビザンティン・ハーモニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 16:34 UTC 版)
「ビザンティン・ハーモニー」の記事における「正教会のビザンティン・ハーモニー」の解説
正教会は西方教会と異なり全的堕落説を否定し、聖と俗を二元的に対立させない。 聖と俗の隔たりはイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)によって取り払われたとし、聖と俗の両者につき区別はしつつも、「聖により回復せらるべき俗」「聖を回復すべき俗」という、最終的には一元に復帰する調和の関係として捉えている。堕落した人間も世も俗悪として切り捨てるのではなく、その中に浸透して変容を試みるというのが正教の姿勢であるとされる。 また、正教会を奉じる東ローマ帝国では、国家と教会の厳しい対立関係を西方教会ほどには歴史的に経験して来なかった。 かかる伝統的理解と歴史的経緯から、正教会は国家と教会を敵対・断絶・競合するような対立関係として捉えず、国家(皇帝)と教会(総主教)が互いの立場を尊重し理解して、この世を来世の写しとする共通目標に向かって共に歩むものとしてきた。この理念をビザンティン・ハーモニーと呼ぶ。なお、皇帝と総主教の両方を兼任した人物はおらず、ビザンティン・ハーモニーは国家と教会が完全に一元化されるようなものではない。 皇帝は神に祝福された王として帝国の「体」を、総主教は神に祝福された司祭として帝国の「心」をケアするものとして位置づけられる。正教では、体を俗で駄目なもの、心を聖で良いものとするような二元論をとらず、心と体は分かち難いものとすることから、体と心を対立関係には置かない。従って帝国の「体」と「心」のそれぞれをケアする皇帝と総主教も、対立関係には置かれない。
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