西方教会の政教分離に対する正教側の理解の一例
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「ビザンティン・ハーモニー」の記事における「西方教会の政教分離に対する正教側の理解の一例」の解説
この節では、正教会のビザンティン・ハーモニーに対置される、西方教会における政教分離原則の成立に至る過程に対する、主要参考文献に記された正教会側の理解の一例につき述べる。 中世西ヨーロッパのキリスト教(西方教会)は、全的堕落説をとる。堕落した俗と、聖とを、二分化する発想が底流にある。こうした基本的発想から西方教会は、国家を俗とし教会を聖として、両者を対立概念上で捉えていた。 また、西ローマ帝国が崩壊して以降、各地で形成過渡期にあった国家機構と、ローマ教皇を中心とする教会の対抗する力関係が問題になった。 こうしたことから、皇帝教皇主義・教皇皇帝主義といった、国家と教会のいずれかを優越させる問題が、俗と聖の二元論的解釈を背景として出現してきたと正教会からは理解される。正教会の理解では「皇帝教皇主義」の概念は東ローマ帝国の特徴ではなく、むしろ西方教会の発想の産物であるとされる。 このような力関係の問題を解決するために、近代西ヨーロッパでは政教分離が採られるようになった。
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