欧州における難民危機の始まり
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「2015年欧州難民危機」の記事における「欧州における難民危機の始まり」の解説
2007年から2011年にかけて、中東やアフリカから相当数の不法移民(undocumented migrants)がトルコ・ギリシャ国境を越えた。それを受けて、欧州対外国境管理協力機関(Frontex)は国境管理を強化した。マリツァ川から外れた部分の国境にフェンスを建設すると、2012年ギリシャへ流入する移民は95パーセント減少した。続いて2015年にはブルガリアがトルコからの移民の流入を防ぐ目的で国境フェンスを強化した。 アラブの春以降の北アフリカの不安定な情勢とリビア内戦がアフリカから海路でのヨーロッパへの移民を容易にしている。リビアの不安定な中央政府は港の管理まで手が回らず、ヨーロッパ各国と連携がとれる状態にも無い。そのためにピープル・スマグリング(人の密輸)が横行している。このリビアの内戦は、かつて仕事を求めてリビアにやってきたアフリカの移民たちのリビア離れを促し、別の移民先を求める動機となっている。 2013年ランペドゥーザ島難民船沈没事故では、360名の死者を出した。これを受けてイタリア政府は、オペレーション・マレ・ノストラム(Operation Mare Nostrum)を開始した。捜索と救助を担う大規模な作戦で、強襲揚陸艦が導入され難民の保護に活用された。2014年にはイタリア政府は、一国が担うには経済的負担が大きすぎることを理由にこの作戦を終了した。捜索と救助は欧州対外国境管理協力機関が引き継ぎ、この作戦はオペレーション・トリトンと呼ばれる。イタリア政府は作戦の継続のためにEUに対し経済的な援助を打診していたが、各加盟国はその要請に応じなかった。イギリス政府はイタリアへの協力を拒んだ理由として、作戦が危険な地中海ルートによる移民の流入に拍車をかけてしまう可能性、それによりさらなる悲劇を引き起こす可能性への危惧を挙げた。この作戦は2機の哨戒機と3隻の船舶を7つのチームが運用し、審査の手続きまで行う。月間の予算は290万ユーロと試算されている。
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