機器標準化と鋼体化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 03:35 UTC 版)
「阪急90形電車」の記事における「機器標準化と鋼体化改造」の解説
終戦直後の本形式は、制御車に改造されたグループはそれまでと同様600形の制御車として使用され、電動車のうち94は単行で伊丹線や甲陽線で使用され、95は1945年8月の西宮空襲で今津駅の駅舎が焼失したことから、同駅の側線に留置されて1947年1月まで駅事務所代用とされた。1946年3月に、制御車は1形や96形の電装解除時の発生品などの手持ち電装品を使用して電動車に復旧、同時に戦時中の酷使によって車体の老朽化が進んだことから、窓下に鋼板を張る車体強化工事が行われた。ところが、同年11月94が西宮車庫構内で空気配管のエア漏れからコンプレッサーの過回転を生じ、過熱・出火して全焼、1948年11月30日付で廃車された。なお、焼け残った台枠は無蓋電動貨車207の新製時に再利用されている。 残った5両は、単行ないしは2両編成で主に伊丹線及び甲陽線で運用されるようになった。本形式の車体は当時木造で残っていた51形に比べると一回り大きく、当面支線で活用できる見込みがあったことから、1952年から1953年にかけて半鋼製車体への更新が行われた。最初に施工された95は、屋根は二重屋根のまま、窓配置もそのまま更新されたため、木造車体の面影を色濃く残す車体となった。続いて更新された90・91も、ほぼ同一内容で更新されたが(前面幕板上部は95に合わせて緩くカーブした形状になった)、95とは種車の形式が異なるため、その相違を引き継いで窓配置や前面が緩やかにカーブしている点などが異なる。 最後に更新された92・93は丸屋根となり、より近代的なスタイルになった。なお、92と93の車体は同形だが、これも種車の形式が違うため台枠寸法が異なり、そのため車体寸法も微妙に異なっている。
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