横浜市域文化財とは? わかりやすく解説

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横浜市域文化財(地域史跡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 09:23 UTC 版)

中村八幡宮 (横浜市)」の記事における「横浜市域文化財(地域史跡)」の解説

内務省地理寮水準点(几号高低標) 1998年平成10年11月9日指定内務省による西洋式地図作成のため、1876年明治9年)から行われた水準測量用いられ標識「几号高低標」がある。当時地図作成内務省地理寮のち地図局(イギリス式測量)、参謀本部測量局(徳川幕府流れをくんでフランス式測量第一軍地方迅測図で採用。のち1882年明治15年)にプロシア地図測量学んで帰国した田坂虎之助中心にして、ドイツ式測量主流になっていった)、北海道開拓使による未開地であった北海道測量1882年明治15年)に組織廃止とともに事業廃止)等でそれぞれ別々に進められていた。その後1888年明治21年)に発足した参謀本部陸地測量部現在の国土地理院)によって地図作成一本化されることとなった陸地測量部ではドイツ式測量継承されイギリス式測量フランス式測量引き継がれることはなかった(当時参謀本部には「イギリス切り捨てフランス憎し」といった風潮強かった)。このため多くの几号高低標は利用されることなく撤去移設されてしまったが 、この几号高低標は設置当時位置移動せずに残されている。1881年明治14年)に内務省から発行された「横浜実測図」を見ると、この地点に几号高低標を示すマークとして「BMベンチ・マーク)」が表示されており、移動していないことがわかる。2000年平成12年)から2013年平成25年)に行われた調査によれば横浜市内残存確認された几号高低標は当地含めて7カ所である 標識位置 几号高低水準点

※この「横浜市域文化財(地域史跡)」の解説は、「中村八幡宮 (横浜市)」の解説の一部です。
「横浜市域文化財(地域史跡)」を含む「中村八幡宮 (横浜市)」の記事については、「中村八幡宮 (横浜市)」の概要を参照ください。

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