横浜市域文化財(地域史跡)
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「中村八幡宮 (横浜市)」の記事における「横浜市域文化財(地域史跡)」の解説
内務省地理寮水準点(几号高低標) 1998年(平成10年)11月9日指定。内務省による西洋式地図作成のため、1876年(明治9年)から行われた水準測量で用いられた標識「几号高低標」がある。当時の地図作成は内務省地理寮のち地図局(イギリス式測量)、参謀本部測量局(徳川幕府の流れをくんでフランス式測量、第一軍管地方迅測図で採用。のち1882年(明治15年)にプロシアで地図測量を学んで帰国した田坂虎之助を中心にして、ドイツ式測量が主流になっていった)、北海道開拓使による未開地であった北海道測量(1882年(明治15年)に組織の廃止とともに事業も廃止)等でそれぞれ別々に進められていた。その後1888年(明治21年)に発足した参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)によって地図作成が一本化されることとなった。陸地測量部ではドイツ式測量が継承され、イギリス式測量・フランス式測量は引き継がれることはなかった(当時の参謀本部には「イギリス切り捨て、フランス憎し」といった風潮が強かった)。このため多くの几号高低標は利用されることなく撤去や移設されてしまったが 、この几号高低標は設置当時の位置に移動せずに残されている。1881年(明治14年)に内務省から発行された「横浜実測図」を見ると、この地点に几号高低標を示すマークとして「BM(ベンチ・マーク)」が表示されており、移動していないことがわかる。2000年(平成12年)から2013年(平成25年)に行われた調査によれば、横浜市内で残存が確認された几号高低標は当地を含めて7カ所である 標識の位置 几号高低標 水準点
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