権限機関として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 09:53 UTC 版)
「フィンランド文化遺産庁」の記事における「権限機関として」の解説
フィンランド文学協会(フィンランド語)は、早くも1867年にフィンランドの古代遺跡保護を主導した。1882年議会(フィンランド語)は承認された議案に依拠し、古代の記念物の指定と保護に関する法令を翌1883年に採択する。1884年6月19日に設立を発表した「考古学事務所」(芬: Arkeologisk Kommission)は古代遺産規制を管轄、これによりフィンランドで初めて古代記念物が政府機関直轄の保護対象となる。国立考古学協会とフィンランド文学協会、ヘルシンキ大学、フィンランド科学協会(フィンランド語)、フィンランド歴史協会(フィンランド語)とフィンランド古代記念物協会(フィンランド語)からそれぞれの代表が委員に就任、合計6人の組織は1908年と1911年に改称、考古学委事務所から考古学委員会となる。中世の城の修復事業は1890年代にさかのぼり、1920年代に入るとスオメンリンナの要塞とトゥルク大聖堂(フィンランド語版、英語版)の修復が完成した。 委員会の前身は1893年に国立歴史博物館を開設して考古遺物の管理に当たる。これを基準にのちにフィンランド国立博物館を構想して1916年に開館、セウラサーリ野外博物館(フィンランド語版)も設立から4年後の1913年、委員会の管轄下に移る。考古学委員会は1920年、合議制(フィンランド語)の国立古代委員会に改めた。権限拡大の契機は新しい古代法(1963年)(フィンランド語)と建物保護法(1964年)の制定で、その背景に多くの建築物保護の切迫があった。やがて海洋考古学も管轄に加わり、1972年、委員会は現在の文化遺産庁(芬: Museovirasto)に組織変更される。 本庁は1972年にヘルシンキ市内Nervander通りの旧フィンランド共同教育学校(フィンランド語)の建物に入り、次に2011年から2013年にかけてアルヴァ・アアルト設計の文化館(旧ホームスクール教師館(フィンランド語)の跡地周辺)に移って業務を行なっている。
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