梅林の規模・栽培種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 08:36 UTC 版)
1950年の名勝再指定時に月瀬梅林として指定された梅林の規模は旧月ヶ瀬村全体で 畑573筆、約10町3反8畝(約104km2)、梅樹3108本である。2007年現在、この指定上の規模が変更されていないとの報道がある。1988年の月ヶ瀬梅渓保勝会概要によると、月ヶ瀬梅林保勝会管理対象の梅樹は約1万本とあり、名勝に指定されていない梅樹が相当数栽培されている。月ヶ瀬村を合併した奈良市は2007年までに梅林の規模や衰退状況等を正確に調査した上「保存管理計画」を取りまとめる予定である。 また「指定統計第26号『農林業センサス』」によると2000年の時点で旧月ヶ瀬村には約5.6ヘクタール(56 km2)の農業用梅林が存在し、21戸の農家がウメを栽培しているとされる。ただし、農林業センサスの記録からは月ヶ瀬梅渓保勝会の管理対象に農業用梅林が含まれるか否かは読み取れない。 月ヶ瀬梅林で栽培されるウメの種類に関しては1957年に発表された「名勝月瀬学術調査」において「月ヶ瀬梅林では、梅の実の収穫量の多い遅咲きのウメばかりを栽培したために『春に先駆けて咲く梅の花』の魅力を感じられなくなった(大意)」との考察がなされている。 烏梅生産末期の明治時代ごろまでは未改良の野性的な品種のウメが栽培されていた。野生種の梅果はクエン酸等の含有量が多く、烏梅の利用目的には適していた。しかし、酸味が強いため食用青梅としては市場から歓迎されず、烏梅から食用青梅生産に軸足を移す足かせになった。結果的に多くの梅樹が伐採され、桑畑や茶畑に転作されていった。
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