核分裂の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:19 UTC 版)
「イレーヌ・ジョリオ=キュリー」の記事における「核分裂の研究」の解説
1930年代後半、科学者の間では中性子を使って新たな元素を作り出す研究が始まっていた。きっかけとなったのはイタリアのエンリコ・フェルミによる実験であり、その後、ドイツのリーゼ・マイトナーも、同僚のオットー・ハーン、フリッツ・シュトラスマンと共同でこの研究を始めた。イレーヌもこの研究に取り組み、1937年、ウランから半減期3.5時間の新たな放射性物質を発見した。イレーヌと、共同研究者であるパヴェル・サヴィッチは、この物質はトリウムの同位体であると発表した。 マイトナーはこの結果に疑問を抱き、追試して、この放射性物質は存在しないことを確かめた。マイトナーはこのことを手紙に記し、イレーヌに送った。またハーンもイレーヌの実験を評価せず、学会でフレデリックに会ったとき、君の妻を批判することは許されないのだが、しかし間違っている、彼女にそう言ってくれ、と伝えた。 イレーヌはいったんこの説を取り下げたが、1938年、この物質はランタンに近い性質をもつとあらためて発表した。このとき、マイトナーはナチスから逃れるために亡命していた。ドイツに残っていたハーンは、イレーヌの論文に興味を示さなかった。しかしシュトラスマンは論文を読み、イレーヌが新しい発見をしたことに気付いた。こうしてマイトナー、ハーン、シュトラスマンの3人はこの件に関して研究することにして、その結果、ウランの核分裂についての理論を打ち立てることになる。またもあと一歩のところで栄誉を逃したイレーヌは、ハーンとシュトラスマンの論文を読んで、「私たちはなんて馬鹿だったの!」と言い、フレデリックと共同研究しなかったことを悔やんだという。
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