松岡修正案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
5月12日、野村大使は、松岡外相による日米諒解案に対する修正案をハルに提示した。この修正案は日本の公式提案となっており、ハルは「日米交渉の基礎はこの5月12日におかれた」としている。 松岡修正案のおもな変更点は以下の通りである。 三国同盟の軍事義務について、諒解案での「積極的に攻撃された時のみ」という文言を削除。諒解案では、米国の対独参戦は自衛である(積極的な攻撃ではない)ため、日本に参戦義務はないとの趣旨が含意されていた。しかし、松岡案では日本の参戦義務はあくまで三国同盟の規定に沿う、つまり、米国がドイツを攻撃すれば発動という趣旨が強調される形となった。 支那事変について「日米両国の容認した条件での和平の勧告をする」という条項のすべてを削除。松岡案では近衛三原則や日満華共同宣言にのっとり、アメリカが和平を勧告するという一方的な内容に変更された。 日本の南方進出について「武力に訴える事なく」の文言を削除。松岡案では、万一の場合の武力南進に含みを持たせた。 ハワイでの首脳会談を削除(ただし、必要があれば首脳会談を考慮するとしている)。 要するに、アメリカの参戦を阻止すること、支那事変は汪兆銘政権と結んでいた日華基本条約(陸軍の要求する共同防共のための日本軍の華北・内蒙古への駐兵、治安維持のための駐兵などが定められていた)に基づく日中間の直接交渉によって解決することを主眼にした提案であった。 「この提案からは希望の光はほとんどさしていなかった。日本は自分の利益になることばかり主張していた。…これを一言のもとに拒否することは、われわれが何ヶ月もたったのちにはじめて出会った、日米間の提案を根本的に討議する唯一の機会を捨ててしまうことであった。そこでわれわれはこの日本の提案を基礎にして交渉を進めることにしたが、それは、もし日本を説得して三国同盟から脱退させるわずかの可能性でもありそうだったら、その目的だけを追求すべきだと考えたからだ」 — ハル
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