松ちゃんカラーバーでTVジャック!!(1992年正月)松本人志
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「松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム」の記事における「松ちゃんカラーバーでTVジャック!!(1992年正月)松本人志」の解説
1991年紅白勝敗予想対決(1991年12月22日放送のトークにて・12月29日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビ放送開始直後の5時25分、松本が顔を塗り、カラーバーに扮装した模様が麹町分室(当時は本社)のマイスタジオから5分間生放送された。最初は律儀に「ピ~~~」と声でテストトーンを模してカラーバーに成りきるも、途中心が折れかかったのか「これ、生(放送)でせなあかんか?」と諦めていた。さらに顔のアップバージョン(画用紙にカラーバーを描き、顔だけ出ているというもの)をやったが、時間が余っていたため、タバコを吸いながら新聞(生放送当日付の読売新聞)を読みだす。その際、松本は最後に入る師匠のように振る舞い、「2分前」の告知がされてからもう1度カラーバーになりきった。松本は自著・『松本坊主』の中で、「フジテレビ全盛だった当時にこの罰ゲームをきっかけに日本テレビの事がすごく好きになった」「放送開始という局の顔とも言えるシーンを芸人にやらせると言う日本テレビの器の大きさに感心した」と述べている。松本は放送の最後に「このあとは『早見優のアメリカンキッズ』です、よろしくね~」と後番組を告知し、睨むような顔(浜田に対して「浜田しばいたる!」と脅しのメッセージを送ろうとしたが言い出す前に放送が終了した)で終わっている。罰ゲームの模様は1月19日放送。
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