東郷実 (海軍軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東郷実 (海軍軍人)の意味・解説 

東郷実 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/01 23:22 UTC 版)

東郷 実(とうごう みのる、1890年(明治23年)9月10日 - 1962年(昭和37年)4月22日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将元帥海軍大将東郷平八郎の次男。

経歴

東京府出身。東郷平八郎・てつ夫妻の二男として生まれる。学習院中等科を経て、1912年(明治45年)7月、海軍兵学校40期)を卒業。1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官し「香取」乗組となる。

1919年(大正8年)12月、「金剛分隊長となり、「天龍」分隊長、「浦風」砲術長、「長門」「山城」「日向」の各分隊長などを経て、横須賀海兵団分隊長兼教官に就任。1925年(大正14年)12月、海軍少佐に昇進した。1927年(昭和2年)5月、「多摩」砲術長に転じ、海兵教官兼監事、「八雲」「榛名」の各運用長を歴任。1932年(昭和7年)12月、海軍中佐に進級し「間宮」副長に発令された。

1933年(昭和8年)11月、「長鯨」副長に就任し、横須賀鎮守府付、「春日」副長、鎮海要港部参謀朝鮮総督府御用掛(嘱託)、大本営附属海軍諜報機関勤務を経て、京城在勤武官となり、1938年(昭和13年)11月、海軍大佐に昇進。同年12月、横須賀鎮守府付に転じ、大湊要港部港務部長兼分隊長、舞鶴鎮守府付、第二港務部長、「室戸」特務艦長を経て、1941年(昭和16年)10月、「尻矢」特務艦長に就任し太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)3月、佐世保鎮守府付に転じ、福岡地方人事部長に異動。1943年(昭和18年)11月、海軍少将に進み横須賀鎮守府付となる。同月、軍令部出仕に移り、翌月、待命となり予備役編入。同時に充員召集され軍令部出仕兼海軍省出仕となる。1945年(昭和20年)8月、充員召集が解除された。その後、公職追放となった[1]

栄典

位階

親族

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、82頁。NDLJP:1276156 
  2. ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
  3. ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年(昭和56年)。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年(平成12年)。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第10巻、発売:第一法規出版、1995年(平成7年)。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東郷実 (海軍軍人)」の関連用語

東郷実 (海軍軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東郷実 (海軍軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東郷実 (海軍軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS