東京東海商業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 09:46 UTC 版)
東京東海商業学校(とうきょうとうかいしょうぎょうがっこう)は、かつて東京府東京市麻布区新堀町(現・東京都港区南麻布)にあった私立の男子実業学校。学校経営において数々の不祥事を行っていたことが発覚したため、最後は文部省により閉鎖・解散させられた。
注釈
- ^ この学生3人は卒業証書売買のブローカーとしても活動していた[5]。
- ^ この事件は、前年11月に本郷本富士署特高係が朝鮮独立運動に加わった疑いで前述の学生3人のうち2人(兄弟)を検挙し、取調べていた中で発覚した[6]。
- ^ 在籍生徒数が1・2年生60名程度なのに対して3・4年生が約200名に増加していた[5]。
- ^ 学校閉鎖の時点で実際に通学していた生徒約290名については、東京府学務局が他校への転入を斡旋する措置をとったが[7][8][11]、これとは別に学籍のみを置いていた「幽霊生徒」が600名ほどいたという[8]。
- ^ 2人の遺体の傍らに睡眠薬の瓶があったことから、同性心中したものかと報じられた[18]。
出典
- ^ a b c d 『官報 1929年3月9日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、文部省告示第90号。2018年10月8日閲覧。
- ^ a b 『官報 1936年3月31日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、文部省告示第134号。2018年10月8日閲覧。
- ^ a b 『夜間実業教育 第三節 昭和時代に設置された夜間商業学校 一 男子商業学校』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2018年10月8日閲覧。
- ^ a b c 國民新聞 1936a, p. 2.
- ^ a b c d e 東京朝日新聞 1936a, p. 2.
- ^ a b c d e 読売新聞 1936a, p. 2.
- ^ a b c d 東京朝日新聞 1936b, p. 2.
- ^ a b c d e 読売新聞 1936c, p. 3.
- ^ a b 読売新聞 1936b, p. 2.
- ^ 國民新聞 1936b, p. 2.
- ^ a b 國民新聞 1936c, p. 2.
- ^ 國民新聞 1936d, p. 2.
- ^ 東京朝日新聞 1936c, p. 2.
- ^ 読売新聞 1936d, p. 2.
- ^ 読売新聞 1936e, p. 2.
- ^ 金田一 1983, p. 397.
- ^ 東京朝日新聞 1935, p. 11.
- ^ a b 読売新聞 1935, p. 7.
- 1 東京東海商業学校とは
- 2 東京東海商業学校の概要
- 3 その他
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