村長事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 02:09 UTC 版)
奥山治は、村長就任直後に青ヶ島の抜本的基盤(生活・産業)の確立を旗印に膨大な「青ヶ島開発白書」を公表し、青ヶ島の開発振興についての所信を明らかにした。1965年(昭和40年)まで電気がなくランプで、1978年(昭和53年)まで水道がなく雨水タンクでという、遥かに立ち遅れた村民の生活状況であった。 奥山治は、自らの白書に従って東奔西走し粛々と公約を実現させてきた。 農道・村道・都道の整備、発電設備、全家庭灯電、三宝港開港(突堤桟橋建設)、船便航路、連絡船建造、三宝港ウインチ荷揚げ設備、産業振興、診療所、保育園、小学校、中学校、体育館、図書館、村民住宅、集会所、老人福祉館、村役場庁舎、山斜面雨水集水式簡易水道(全家庭水道化)、大千代港開港、ダイヤル電話開通、年金受給等、そのマニフェスト達成実績は枚挙に暇がない。 奥山治は、日本の僻地・離島が自らの故郷を捨てさせられた当時、孤軍奮闘し青ヶ島の生活と文化と暮らしを守りきった。1979年(昭和54年)後進に託し奥山治は村長を勇退している。
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