村内の構造と設備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 13:53 UTC 版)
「吉野村 (花蓮港庁)」の記事における「村内の構造と設備」の解説
吉野村は、散村と集村の長所を取り入れた折衷的な地割である。耕地面積は一戸ごとに配分され、水田は1甲5分、畑地は3甲、宅地1分5厘。吉野村宮前と清水集落では1戸ごとに宅地約9.3から9.49厘、草分集落では宅地面積は15.3厘(約450坪)、そのうち住宅が占める面積そのものは20坪以内で、残りの土地には野菜畑を設けて果樹を植え、防風林を整えた。移民の住屋の建築費は官が当面は援助し、初期は日本本土産の杉材を用いた草ぶき屋根だったがシロアリの害に弱かった。そのため 1914年(大正3年)以後は阿里山で得られた紅檜を用いた。坪数は15から17、建造費は平均して390円だった。 村内は宮前(現在の吉安、太昌、慶豐、北安)、清水(現在の福興、稻香)、草分(現在の永興)の3地区にわかれ、面積は1260甲,東西、南北はそれぞれ6㎞となる。草分集落は吉野村の最南端であり、公共施設が集中していた。吉野村の開基以降、大正2年から用水路「吉野圳」の工事が始まり、昭和時代の改修を経て村内の耕地面積のうち9割が水田となった。吉野神社、真言宗吉野布教所(現 慶修院)、吉野村尋常高等小學校(現 花蓮県吉安郷吉安国民小学)、診療所など公共設施が設置され、大正の末期には村落としての施設が整い大正8年(1919年)時には、吉野村は戸数327、人口1694人。このうち宮前集落135戸、清水集落125戸、草分集落67戸だった。1933年時には、全村で戸数約300、人口は1318人だった。
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