本塁打を打って代走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:19 UTC 版)
「ジム・ジェンタイル」の記事における「本塁打を打って代走」の解説
ジムタイルは両足に爆弾を抱えて近鉄入りしたが、1969年シーズンは開幕戦でいきなり故障。その後は代打での出場がほとんどになったが、まともに走れる状態ではなかったため、本塁打を打った場合を除き、塁に出た時点で即代走が送られることになった。当時のパシフィック・リーグにはまだ指名打者制がなかったため、先発出場をする際は守備範囲の狭い一塁手に限定された。 5月に一度登録抹消されたあと復帰し、5月18日の対阪急ブレーブス戦(阪急西宮球場)で復帰後初スタメンとなったジムタイルは、2回表に阪急先発の足立光宏から先制のソロホームランを打ったが、一塁に向かう途中で左足に肉離れを起こし倒れてしまった。本塁まで走ることが不可能と判断した審判団は代走の起用を認めた。本塁打を打った打者に代走が送られるのはプロ野球史上初であった。なお、本塁打と打点はジムタイルに、得点は代走の伊勢孝夫に記録されている。 伊勢は本塁を踏む際、阪急の捕手・岡村浩二から「ホームランを打った気分はどうだい?」と冷やかされ、恥ずかしかったというが、試合はそのまま一塁に入った伊勢が、同点の8回表に米田哲也から決勝本塁打を打ち、今度は正真正銘の自分の本塁打で本塁を踏んだ。 その後ジムタイルは6月に復帰したが、上記の起用法によりシーズンを通して自分の本塁打以外での得点が一度もなく、日本での通算記録は「本塁打8・得点7」と本塁打よりも得点の方が少なくなった。この「本塁打数よりも得点数が少ない」という記録はジムタイルの例が日本プロ野球で唯一である(2021年シーズン終了時点)。
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