木野地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 16:09 UTC 版)
かつての山城国愛宕郡木野村および近代の岩倉村(大字)岩倉(小字)木野に相当。幡枝地区の北に位置し、その面積の多くを山林が占める。 岩倉木野町( - きのちょう) 町名の「木野」はかつての村名および小字名に由来する。木野の住民は、古くは山城国葛野郡嵯峨村の深草に住んでいて、愛宕神社、野々宮社の神職につき、その傍ら土器(かわらけ)を製造し、朝廷に納めていた「土器師」であった。室町時代の応仁年間(1464-1469)に、良質の陶土を求めて幡枝の福枝(幡枝東部)に移り住み、後の元亀3(1572)年には、当時足利将軍に仕えていた岩倉小倉山領主・山本氏の支配地域である「木野芝」の地を拝領し、土器の製造を行った。その後さらに住居を木野に移して開拓を始め、今日の木野集落をなした。文禄・慶長年間(1592-1615)には嵯峨の愛宕神社、野々宮社の神を勧請し、木野愛宕神社が造営された。今も木野に多い 藤木・藤本・藤井・椹木・藤田 の五姓は、嵯峨の愛宕神社、野々宮社の神官及び土器師たちの末裔という。
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