小瀬川・木野川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:57 UTC 版)
この川は旧安芸国(広島県)と周防国(山口県)の国境になっていて、河川法上の公称は「小瀬川」であるが、広島県側では「木野川」(このがわ)、山口県側では「小瀬川」(おぜがわ)呼ばれてきた。 山陽道(西国街道)がこの川を渡る地点では、広島側の木野村(大竹市木野)と山口側の小瀬村(山口県岩国市小瀬)との間に芸防の渡し船が通じていた。これを安芸国・広島藩側では「木野川渡し」、周防国・長州藩(岩国藩)側では「小瀬川の渡し」と呼んでいた。 安政6年(1859年)の安政の大獄で江戸へ護送されることになった吉田松陰は、そこで一句残している。 夢路にも かへらぬ関を 打ち越えて 今をかぎりと 渡る小瀬川 — 吉田松陰、 1893年(明治26年)『地学雑誌』第5巻第3号(東京地学協会刊)には、「小瀬川は其上流を木野川と云う」とある。 1968年(昭和43年)、(現)河川法制定に伴い一級河川指定(国の管理)の際に「小瀬川」に定められた。「大竹市歴史研究会」によれば、このときおそらく「川の名称は河口に向かって右岸の地名を当てるという、国の行政上の原則」に従って「小瀬川」の名称が採用されたという。かつて国が木野地区内に「一級河川小瀬川」の看板設置を試みたが、木野地区住民が「木野川なら土地を提供する」と拒否したとの逸話があるという[要出典]。 1982年(昭和57年)に中国新聞社が刊行した『広島県大百科事典』では、広島県内でも「小瀬川」の呼称が定着し、「木野川」「あまり使われなくなった」としている。
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