朝鮮最初の象とは? わかりやすく解説

朝鮮最初の象

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 21:26 UTC 版)

亜烈進卿」の記事における「朝鮮最初の象」の解説

1411年応永18年/太宗11年)、足利義持朝鮮太宗に象を贈った。『朝鮮王朝実録によれば朝鮮でも生きた象は初めて見るものであった日本国王源義持、遣使献象、象我国未曾有也、命司僕養之、日費豆四、五斗 — 『朝鮮王朝実録太宗十一二月癸丑2月22日)条 よく馴れたであったとされ、司僕寺(馬などの動物の飼育携わる官署)で世話任されることになった。しかし、1412年太宗12年12月前工典書瑀という人物が象を見た際、形相醜悪であるとして唾を吐きかけたところ、象が瑀を踏み殺すという事件を起こすその後もう一人危害与えたらしく、1413年太宗13年11月兵曹判書廷顕(朝鮮語版)は「日本から贈られてきた馴象であるが、王はすでに愛玩しておらず、国にとっては無益であり、二人害した人間の法で論じるならば殺人死罪相当である。一年間食した豆は数百石にも上る」とし、周公旦が象などの猛獣遠方駆逐した故事引いて全羅道の海島に配流することを王に建言した。象はこうして全羅道の島(順天府獐島)に流刑処せられた。 当時の人々は象は水草食べて生きられる考えていたようであるが、半年過ぎた1414年太宗14年5月全羅道観察使から「象が水草食べず日ごとにやせ衰えており、見る者の涙を誘っている」という報告届けられた。太宗は象を憐れみ、象を本土戻してもとのように飼育するよう命じたその後、象は全羅道内の4地区輪番飼育していたようであるが、それでも飼料負担大きかったために、1420年世宗2年12月全羅道忠清道慶尚道との輪番になった。しかし、1421年世宗2年3月忠清道公州で飼育に当たっていた奴婢蹴り殺す。忠清道観察使は象の飼育が有害無益であるとして海島の牧場放つことを建議し、「水草良いところ選んで放し病死しないようにせよ」と王命下った

※この「朝鮮最初の象」の解説は、「亜烈進卿」の解説の一部です。
「朝鮮最初の象」を含む「亜烈進卿」の記事については、「亜烈進卿」の概要を参照ください。

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