朝服・束帯における半臂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 04:15 UTC 版)
奈良時代に朝服について定めた『養老令』衣服令には半臂に関する規定がないが、天平7年(735年)の古文書によって下級官人が葛布半臂を所持していたことが伝わることから、8世紀前半には非公式に着用されていたと推測される。 10世紀初頭の『延喜式』には、天皇のために毎月揃える衣料の一覧の中に藍、紫、白の半臂計10領が記載されている(中宮の料には背子が含まれる)。10世紀半ばから11世紀初頭に成立した『西宮記』の頃までには、袍の下、下襲の上に半臂を着用する慣習が確立していたと見られる。 その後も束帯装束等において、特に闕腋袍の下に着用する胴着として半臂は用いられ続けた。戦国時代の『山科言継卿記』には半臂の調進に関わる記事等が見られ、この時代にも半臂は用いられていたが、江戸時代前期には、一旦、使用が中絶したと言われる。鈴木敬三によれば、貞享4年(1687年)の大嘗会再興以降は、闕腋袍には半臂の着用が本儀となった。しかし、元禄7年(1694年)に賀茂祭の勅使発遣を復興した時、勅使の近衛次将野宮定基は半臂の使用を望んだが間に合わず、その後も定基や滋野井公澄等が賀茂祭復興を進める中、元禄10年に公澄が勅使を勤めた際には、記録や高倉家に伝わる半臂をもとに再興し、着用した(『新野問答』等)。江戸後期の公家日記でも昇進のお礼に参内する拝賀などの時に、夏の束帯に半臂を用いた例がある。明治以降も、即位の礼における武官や、男性皇族の成年式等において闕腋袍を用いる際には半臂が着用される。
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